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●やっとお墓を建てることになった。

 毎日暑い日が続く。お母ちゃんが居なくなって、丸2年が近付いてきた。今年の正月に一年発揮して近くの「指森神社」への往復2.4KMを毎日日課として歩いている。
 また、デイへは「要支援2」で週に2回半日通って体操をしていて楽しい。

 今年はお母ちゃんが居なくなって3回忌が来る。今まで「とうば」を立てていたが、いよいよ墓を建てて、お母ちゃんの入る家をつくる。お金もたくさん要るが、これだけは自分の時代にしておかないと、子供たちに苦労をかけることになる。
 いずれ、自分もお母ちゃんと一緒に入ることになる・・・。

 保険を掛けておいて良かった。保険がなければできないところだった。

●お母ちゃんの初盆

この9月はお母ちゃんが天国へ旅立っての初盆。
寂しさは今も変わらない。夜中は相変わらず睡眠が浅く、4~5時間くらいしか寝られない。足の付け根の痛みも和らぐこともなく、人生が大きく変わってしまった。

そんな状態でも現役を貫かねば、余計体調が悪くなっていくような気がする。お母ちゃんが居ないことがこんなに人生が変わってしまうことなのか。

お母ちゃんの月命日

5月7日には「阪南市九条の会」の八周年記念行事にプロジェクターでの奉仕をした。子どたちが多く来ていて今までと違った雰囲気で良かった。この会を立ち上げた女性名代会長とも話をすることができた。お母ちゃんのことを良く知ってくれている方で「奥さん元気?と言ってくれた。去年9月に亡くなったことを話すと本当にびっくりしていた。

明日11日はお母ちゃんの8回目の月命日、いつまでたっても悲しみは癒えない。先日も民商の仲間と会議のため海塚市の「ほの字の里」に行くとき阪和高速の泉南トンネルの出たところのドンドンドン、ドンドンドン、ドンドンドンドン、ドンドンドンと音がするところを通ると、思い出して涙が出てきた。いつも横に座っていたことを思い出して涙する。仲間の人も同情してくれて余計涙が出てきた。

朝出るとき、仏壇のお母ちゃんbんに「行ってくるからな、守ってな」と言って出掛ける。帰った時は一番先に「ただいま、今日も守ってくれて有難う」といって手を合わす。

あれから100ヶ日が過ぎた

お母ちゃんが居なくなって早いもので100日が過ぎた。
今でも、毎日思い出して悲しくなってくる。車に乗ってお母ちゃんの写真に語り掛けて涙し、ラジオで同じようなことを聞いては涙する毎日、いったいいつになったらこの悲しみが薄らいでくるのだろうか。

知り合いの人は3年過ぎても思い出すとも言い、何年たっても悲しみは癒えないともいう。
毎日、仕事に出ている間は少しは忘れているが、もしも自分が事務職だったら、今頃はうつ病になって居るかも知れない。
そう思うと、仲間が仕事を言ってくれるので助かっている。

先日、知り合いから来年1月末に映画鑑賞会をしたいのでとの映写の要請があった。喜んで協力したい。この年になっても他人のお役に立てることは有難いことで、それが健康にも繋がっていることと思う。赤字にならない限りどんなことでもさせてもらおうと思う。

あれから早くも一か月

お母ちゃんが天国へ旅立って早や一か月が過ぎた。
毎日毎日寂しい思いで暮らしている。仕事が結構忙しいので仕事中は気がまぎれるが、家に帰ると思い出して悲しい思いになる。そんな時時々仲間の人達から電話がかかってくると気分転換になって、つい長話になる。
連れ合いが居なくなるとこんなに寂しいものとは思ってもみなかった。やっぱり我が家はお母ちゃん中心に回っていたのだと改めて感じた。

けれど、悲しんでばかりではお母ちゃんは気になって極楽へ行けないかもしれない。それでも、やっぱり思い出すと涙がとめどもなく出てくる。車のハンドルの前に写真を貼って話をしながら走っている。こうすればいつも一緒に居るような気がする。

無残な宣告

お母ちゃんの腹水が医師から処方された薬を飲み続けていてもなかなか改善されないので相談すると大きな病院で診てもらうよう勧められ、阪南市民病院への紹介状を書いてもらって長男が付き添って8月10日に診察を受けた結果、肝不全とのことで手続きは後にして即入院することになった。仕事から帰って見に行くと点滴を打ちながらベッドで横になっていた。検査の結果肝不全と診断されたらしい。

何にも悪いことをしていないのに何でこんな苦しみを味あわせられるのだろうか? 入院手続きの書類を書いて保証人はお母ちゃんの実弟と長男になってもらうことにして、完全看護なので、何事かあった時の連絡方法を言って帰ったが、なかなか寝付かれなかった。

14日系列の病院から医師が来て再度診察を受けた結果、肝臓の中が癌でいっぱいになっており腹水も処理できず、手の施しようがなく余命1ケ月と宣告された。
目の前が真っ暗になった。病室に戻っても涙が止まらなかった、結婚してからこの10月27日で53年になる。その間、誰にも迷惑をかけず、それどころかお母ちゃんの実姉に財産を全部とられる被害にあった。
それでもお母ちゃんは私や子供たちのために一生懸命に働いて家族を支えてくれた。私の母が直腸癌で寝たきりになった時も愚痴も言わず、介護し3人の子供を大きくしながら、自分も働いて頑張ってくれたのに・・・。
この世に神も仏もいないのだろうかと思い悲しい思いでいっぱいになる。今となっては、病魔に侵されつつも、一緒に仕事に行って私の仕事の片づけをしてくれたりと、精一杯頑張ってくれた。
これを書いている時も涙がとめどなく溢れてくる。

お母ちゃんを救えるものなら、私の手、足を一本なくなってもよい
お母ちゃんを助けてほしいと本気で思う。
子供のころ行きつけの医師から「この子は10歳くらいまでしか生きられない」と言われたらしい。また、実母も32歳で天国へ行ってしまい、母の愛よりもおばあちゃんの愛情で大きくなって結婚して今まで来た。そういう意味では医師に言われた年齢の7倍以上、実母より2.5倍長生きしてきたので天国へ行っても、おばあちゃん や
お母さんには天国に来るのは早すぎるといって叱られることはないと思うが、残される家族が悲しい思いをする。

奇跡がおこってほしい。何もしゃべらなくてもいい、寝たきりであってもいい。外から「ただいま」と言って帰った時、にっこり笑ってくれるお母ちゃんがそこにいてほしい。
仕事仲間も会う人ごとに、おかあちゃんのことを聞いてくれる。 中には一緒に涙してくれる人もいる。きっと、自分に置き換えて考えてくれているのだろう。
運命の日が一日でも伸びてくれることを祈らずにはいられない日が続く。お母ちゃん頑張れよ・・・。

この世で一番大切な人

この世で一番大切な人
認知症のお母ちゃんを介護して・

一年ほど前に「赤旗」に認知症のお母ちゃんのことを投稿しました。
読んで下さった方々、同じように介護されている方々からたくさん励ましのお言葉を頂きました。
 あれから一年、症状はかなり進みました。26年4月12日には骨粗鬆症で歩けなくなり介護ベッドや手すりを設置しました。
最近やっと一人で廊下を挟んだトイレに行けるようになりました。
 介護用のパンツをはいて寝るときは紙おむつをしています。意識ももうろうとしていて家族の顔も名前もわからなくなりました。私はベッドの横の畳で寝ていて、ちょっとした音でも目が覚め熟睡したことはなく、平均四時間から五時間くらいです。
 朝6時に起床してすぐトイレに連れていくと紙おむつはすっかり重くなっています。時々「うんち」を包んでいるときがあり、その処理もきっちりしてやらねばなりません。
タオルを濡らしてお尻を拭いてやると「じいちゃんごめんな」と言います。その言葉を聞きますと私はぐっと来て涙がこみあげてきます。お母ちゃんは直腸がんの私の母を五年介護し、子育てし、自分も働きながら頑張って私を支えてくれました。母は息を引き取るときに「ありがとう」と言って亡くなったそうです。
 認知症はなりたくてなった病気ではないのに、一番悲しんでいるのはお母ちゃんだと思うと何としても守ってやらねばなりません。幸い子供たちも、私よりも優しく、多くの仲間も優しく接してくれます。
先日、テレビで、認知症は発症から大体10年で生涯を閉じるといっていました。それから比べると、お母ちゃんは11年過ぎました。確かに今は人の顔も名前も出てきません。食事も風呂も一人では何もできません。
仕事に行っても、家にいても「もう帰るわ」といいます。ここは母さんの家だよと言ってやると落ち着きます。
時々、玄関を開けて出ようとしますが、まだ徘徊したことはありません。一緒に散歩に出ても100m位歩くと足が痛くて歩けません。先日シルバーカーを購入しました。少しでも歩く練習をして元気になってもらいたいと思って・・・。
 同じ認知症患者でも通院歴が同じような人と比べると全然違います。それの一番大きな要因の一つに水道のメーターの二次側に「マイナスイオン水」の道具を取り付けて家中その水にしてもう13年生活しているからと100%信じ込んでいます。この水がなかったら家族みんなが健康に過ごせていないと思います。特に認知症は頭に良い水と栄養が必要と聞きます。私は、この活水器の工事をするようになって14年、940台くらいは設置していますが、製品について唯の一件も苦情を受けたことはありません。また、設置したお家の人はみなさん初対面で親切な方ばかり、一人としてもめたことはありません。これが私の自慢です。
お母ちゃんが認知症になってこの活水器に出合ったことにより、多くの仲間ができ、そして励ましあい慰めあって築き上げた大切な仲間、私たち夫婦の一番の宝です。お母ちゃんは不治の病の認知症ですが、まだ自分でできることがあります。私はお母ちゃんの介護をしながら生涯現役でこの活水器の普及に微力を注ぎたいと頑張っています。遠いところからでも工事の注文を頂きます。遠い順番では、大分県、愛知県、福井県、で近畿一円から要請があります。私は、お母ちゃんに親切にして頂いたご恩返しの気持ちで、どんな遠いところでも赤字にならない限り行かせてもらっています。
私は現在75歳、クリスマスが来たら76歳になります。この水のお蔭でいたって健康で医者知らずです。
ですが、おかあちゃんも、いずれ旅立ちの日が来るでしょう。 いい人生だったと思って旅立たせてやりたいのです。 そして、そのあと、私は子供たちに見送られて旅立ち、天国でもう一度お母ちゃんと家庭を持ちたいと真剣に思っています。
 もしも、この水に出合っていなかったら、多くの親切な仲間に出合っていなかったし、お母ちゃんとの別れがもっと早くきたと思います。そういう意味ではお母ちゃんも私も幸せな人生と強く思っています。おわり

                      戸﨑 豊

大切なお母ちゃんを介護して

この世で一番大切な人
認知症のお母ちゃんを介護

一年ほど前に「赤旗」に認知症のお母ちゃんのことを投稿しました。読んで下さった方々、同じように介護されている方々からたくさん励ましのお言葉を頂きました。
 あれから一年、症状はかなり進みました。四月十二日には骨粗鬆症で歩けなくなり介護ベッドや手すりを設置しました。
最近やっと一人で廊下を挟んだトイレに行けるようになりました。
 介護用のパンツをはいて寝るときは紙おむつをしています。意識ももうろうとしていて家族の顔も名前もわからなくなりました。私はベッドの横の畳で寝ていて、ちょっとした音でも目が覚め熟睡したことはなく、平均四時間から五時間くらいです。
 朝五時に起床してすぐトイレに連れていくと紙おむつはすっかり重くなっています。時々「うんち」を包んでいるときがあり、その処理もきっちりしてやらねばなりません。
タオルを濡らしてお尻を拭いてやると「じいちゃんごめんな」と言います。その言葉を聞きますと私はぐっと来て涙がこみあげてきます。お母ちゃんは直腸がんの私の母を五年介護し、子育てし、自分も働きながら頑張って私を支えてくれました。母は息を引き取るときに「ありがとう」と言って亡くなったそうです。
 認知症はなりたくてなった病気ではないのに、一番悲しんでいるのはお母ちゃんだと思うと何としても守ってやらねばなりません。幸い子供たちも、私よりも優しく、多くの仲間も優しく接してくれます。
先日、テレビで、認知症は発症から大体十年で生涯を閉じるといっていました。それから比べると、お母ちゃんは十一年過ぎました。確かに今は人の顔も名前も出てきません。食事も風呂も一人では何もできません。
仕事に行っても、家にいても「もう帰るわ」といいます。ここは母さんの家だよと言ってやると落ち着きます。
時々、玄関を開けて出ようとしますが、まだ徘徊したことはありません。一緒に散歩に出ても100m位歩くと足が痛くて歩けません。先日シルバーカーを購入しました。少しでも歩く練習をして元気になってもらいたいと思って・・・。
 同じ認知症患者でも通院歴が同じような人と比べると全然違います。それの一番大きな要因の一つに水道のメーターの二次側に「マイナスイオン水」の道具を取り付けて家中その水にしてもう十三年生活しているからと百%信じ込んでいます。この水がなかったら家族みんなが健康に過ごせていないと思います。特に認知症は頭に良い水と栄養が必要と聞きます。私は、この活水器の工事をするようになって十三年、八四〇台くらいは設置していますが、製品について唯の一件も苦情を受けたことはありません。また、設置したお家の人はみなさん初対面で親切な方ばかり、一人としてもめたことはありません。これが私の自慢です。
お母ちゃんが認知症になってこの活水器に出合ったことにより、多くの仲間ができ、そして励ましあい慰めあって気づき上げた大切な仲間、私たち夫婦の一番の宝です。お母ちゃんは不治の病の認知症ですが、まだ自分でできることがあります。私はお母ちゃんの介護をしながら生涯現役でこの活水器の普及に微力を注ぎたいと頑張っています。遠いところからでも工事の注文を頂きます。遠い順番では、大分県、愛知県、福井県、で近畿一円から要請があります。私は、お母ちゃんに親切にして頂いたご恩返しの気持ちで、どんな遠いところでも赤字にならない限り行かせてもらっています。
私は現在七十四歳、クリスマスが来たら七十五歳になります。この水のお蔭でいたって健康で医者知らずです。
ですが、おかあちゃんも、いずれ旅立ちの日が来るでしょう。いい人生だったと思って旅立たせてやりたいのです。そして、そのあと、私は子供たちに見送られて旅立ち、天国でもう一度お母ちゃんと家庭を持ちたいと真剣に思っています。
 もしも、この水に出合っていなかったら、多くの親切な仲間に出合っていなかったし、お母ちゃんとの別れがもっと早くきたと思います。そういう意味ではお母ちゃんも私も幸せな人生と強く思っています。

あれから一年たった私たち

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あれから一年の四月十二日お母ちゃんが突然歩けなくなりました。
朝はいつものようにトイレにも行き車にも乗れたのに・・・。転倒したわけでもなくいつもの通りだったの
に夕方には歩けなくなりました。十三日にかかりつけの医院に行って診察してもらい阪南市民病院への紹介状をかいて頂き、息子の仕事の都合もあって十五日にCT検査、十六日にはMRI検査をしてもらいました。
 その結果骨粗鬆症になっていて2箇所ほど骨折しており、それが神経に触って痛みが取れないということで神経痛になっていて薬を処方してもらって一ヶ月程様子を見ることにしました。
しかし、毎日が痛みにより歩行できないため、お世話になっている社会福祉協議会に相談に乗ってもらい車椅子とベッドと手すりを借りることにし、部屋には持っていたポータブルトイレを部屋におきました。それでも、ベッドに横たわっているお母ちゃんを起こすのに一苦労です。

 夜も足の付け根が痛がって眠らずその度に起きて足をさすったりしています。トイレに行くのも大変なため尿パッドと消臭パンツを履かせています。2~3回くらいの尿は吸収して重くなっていますが本人も私も楽になりました。

 
私を心配してくれる仲間は私の健康を心配してくれて時々お母ちゃんをショートステイに預かってもらうようにしないと、あなたの健康が心配だと言ってくれます。
私もそう思うのですが、お母ちゃん一人で知らないところへ預ければ不安になって可哀そうでなりません。 

私の世界中で一番大切な人

私の妻75歳、私73歳です。金のわらじを履いて探しあて結婚2012年の10月金婚式を迎えまし
た。これまでには私の母の介護を5年、自分も働きながらの子育て、私は仕事一辺倒で家のこと
すべて「お母ちゃん」任せきりでした。幸い小さいながらも自宅を建て、私の母を見送り、子
供たちも成人して手もかからなくなり勤め先も65歳で定年になり、やっと自分たちの人生と思
い、新婚旅行で行った先をもう一度旅行しました。


 ところが一年ほどしたある日、下宿していた長男から「お母さんの様子がおかしい」と言わ
れ、もの忘れ外来を受診し「CT」の画像からアルツハイマー型認知症の初期の段階、今から
治療していけば、進行を遅らせられると言われ治療が始まって今年で10年余介護3となりまし
た。数年前から近くにあるデイサービスに週4日お世話になり親切にしてもらっています。

デイサービスは9時~16時迄です。私は設備関係の自営業で遠くまで行くことがよくありま
す。 定刻にに帰れない時は一緒に行って事情を話し、本当に親切にして頂いています。

以前一緒に通院していた人達は、亡くなった方、施設に行った方、寝たきりになった方、徘徊
して大声をだす方がほとんどです。

 昨年仕事上で、おかあちゃんと一緒に「美津村」の青山社長と出会い話をしたところ真剣に
私達の苦しみを感じ取って頂きました。そして、ある日「奥さんのような病気で苦しんでいる
人達の苦労を少しでも軽減 することが出来ればという思いから、新商品を開発しました。」と
の電話を頂き3月末に「燕の巣B&EGOLD」が送られてきました。
それを毎日朝3錠晩2錠ずつ飲み続けています。

 先日、4週間ぶりに出会った知人が「お母ちゃんの表情が明るくなった」とびっくりされまし
た。また、青山社長からも他の方が同様の話の話をしていたと聞きました。
毎日一緒に生活していると、なかなか気付きませんが嬉しいことです。世の中には同じような
ことで苦労している方が沢山います。特に私のような「老老介護」の方が疲れ果て途方にく
れ、新聞紙上を賑わしています。私は世界中で一番大切な「お母ちゃん」に良い人生だったと
思えるようにしてやりたいのです。そのためにも私は生涯現役で働きお母ちゃんを天国に送
り、その後から子供たちに見送られて天国に行き、待っていてくれたお母ちゃんと、もう一度
天国で結婚したいのです。
この「燕の巣B&EGOLD」同じ苦しみの方たちへの朗報となりますよう願っています。
今日、驚くことがありました。
「おかあちゃんが掃除機をかけました」何年ぶりでしょうか? 青山社長と奥様に感謝です。

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