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蘇れ「岸 煉」
阪南市九条の会
泉南民主商工会

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@煉瓦はもっとも古くからあった進歩的な材料
それは文明の歴史といってもいいでしょう。 ピラミッドやスフインクスなどの文化遺産を残したあの古代エジプト文明。 煉瓦は、ピラミッドなどが生まれるずっと前、紀元前8000年、すでに建築材料として造られていたのです。

もっとも、当時は現代のような焼き煉瓦ではなく、泥を固めて乾かしただけの日乾煉瓦でしたが、形といい、組み方といい、その技術はそのまま現在にまで伝えられています。 煉瓦は古代エジプトでもっともよく使われた建材で小屋から宮殿にいたるまで、あらゆる住居に用いられていたと言われています。 ナイルの谷では得がたい木材の代わりに、豊富にあった泥で煉瓦を造ることを覚えたのでしょう。 

煉瓦を意味するエジプト語 ”トーベ(Tobe)が現在の”アドービ(Adobe英)日乾煉瓦”の語源となっていることからも、煉瓦がいかにエジプト文明と縁が深かったかがわかります。この煉瓦も全盛期はB.C.2700年頃までで、それから後、石で造られたあのピラミッドが出現するのです。
 
A多くの都市づくりに貢献した煉瓦たち
同じ様な例は、エジプトだけでなく、メソポタミアやインダス文明にも見られます。 シュメール人がつくった世界最古の都市ウルク。世界最古の文字がつくられ、最初の叙事詩が生まれたこの都市は、灼熱の太陽の下でしかつくることができない日乾煉瓦で築かれていました。 石材が乏しかったためここでは神殿も日乾煉瓦で造られました。そしてその流れをくむバビロンには、なんと光沢のある彩色煉瓦で造られた、神マルドウクをたたえる行列のための道路がみられ、街を極彩色に彩っていたということです。

 この頃すでにアーチ、バットレス(控壁)などの技術がみられたといいますから、さすが60進法を考え出したというシュメール人の優れた知恵のほどがうかがえます。 幾世代にもわたって何百万という煉瓦を焼いたため周囲の緑が失われ、文明が衰退したといわれているインダス文明。 その一つであるモヘンジョ.ダロは現在でも通用するほどの完璧で、高度な都市計画が進められていました。1.2km四方の街中を碁盤の目のようにきちんと整備された道路、下水道、通風孔のある大穀物倉庫、井戸、沐浴場からダストシュートまで備わり、これらすべてが焼き煉瓦でつくられていたのです。 

 信じられないほど高度に発達した文明が、どうして衰退の一途をたどったかは定かではありませんが文明が緑を追放することの恐ろしさと、煉瓦施工技術のすばらしさを貴重な遺産として残してくれたことに感謝したいと思います。 このように、小アジアから中央アジアに生まれた煉瓦は、その後エトルリア人によってイタリア、ローマにもたらされ、ビザンチン、トルコ、そして十字軍によってヨーロッパ全域にまで伝えられました。 ヨーロッパで開花した煉瓦造建築も、実はこんなに古く長い歴史をもっていたのです。
 
B日本の煉瓦造建築のあけぼの
さて、日本で煉瓦造建築が始まったのは一体いつ頃からだったのでしょう。 明治2年(1869年)といいますから意外に早かったようです。 英国人ウオードルス設計によって東京龍ノ口伝奏屋敷跡に建てられた大蔵省分析場がそれ。 

 ついで、銀座通りの煉瓦建築街が誕生するのですが、さすがの江戸っ子も見慣れないものは恐ろしいのか「あんな煉瓦の家に住めば、ハレ病にかかってすぐ死んでしまう」という奇怪な噂が伝わって誰も借り手がなかったとか。 でも勇敢な興行師がここに移り住んで商売を始めるや、他の人々も争うようにこの家に住むようになったといいます。 

 日本の煉瓦造建築のあけぼの時代は思わぬ噂が元で苦労したようですが、逆に赤い色は魔除けになるといわれ、入り口の花壇、ポーチ、また最近ではガレージにガーデニングに赤レンガを使うことが流行しています
 
C 私が「岸 煉」に勤務していたときに、保管していた資料より引用させていただきました。
 
岸和田の 煉瓦 用粘土の運搬

大正末期の岸和田 この時期泉州全域で窯業に適した土が産出し煉瓦製造・泉州瓦の製造が盛んだった。

 写真は搬出用のソリを曳かせる職人 

 
お茶屋浜の工場群(岸和田市・大正末期)

岸和田煉瓦株式会社は、大正9年には煉瓦製造と共に製織を兼営し社名にも綿業を加えて、岸和田煉瓦綿業株式会社とした。当時 お茶屋浜の向こうには煉瓦、紡績の工場群と煙突が建ち並び独特な景観を作っていた。

 
煉瓦工場の作業(岸和田市・大正中期)

完成した煉瓦を4枚ずつ、くくって縄がけする ”結び”の作業

ほかに、”たたき”といってれんがの型に土を入れ上からたたいて形をつくる仕事もあった。 

 

 
岸和田煉瓦株式会社本社工場(岸和田市・大正5年頃)

明治18年の洪水で被災した人々を授産する目的で始められた 第一煉 瓦製造会社だったが、経営も好調で明治26年には岸和田煉瓦株式会社と改称した。戦後、社名も「岸 煉」と改称し、第一次、第二次オイルショックも乗り切り昭和62年までこの地で赤煉瓦を製造した.。現在は「 スパリゾート・リバテイ」となっている。

 
岸和田中学校『現、岸和田高校』の水上大運動会(明治43年頃)

遠泳あり、短距離競泳ありと海で育まれた岸中生の日ごろの腕前をここぞと披露した。彼方には岸和田煉瓦工場などの煙突がみえる。

 

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